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2008年6月20日 (金)

快晴の開声( from 鋭耀)

「手数の多さだの、拳の重さだの、んなこと競ってんじゃねーよくだらねぇ。要は――テメェに地べたなめさせりゃいいんだろ?」

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ワールドエンブリオ/森山大輔
少年画報社



『ワールドエンブリオ』の4巻が発売されたのに刺激されて、久々に『クロノクルセイド』を読み返してみました。

「なんでだろうなぁ」と考えていたことに「ハッ」と気がつく瞬間ってのは結構時間を置いたあとなんでもなく訪れたりするのでそいつは不思議だったり気持ちよかったりするわけなんですが。という訳で作品的には「今?」って言われそうなんですが気がついたことは備忘録代わりにちょいと書いて残していくのがここの役割でもあるんで今日の夢幻燈本舗はそんな湯加減で。

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クロノクルセイド/森山大輔
富士見書房



連載当初(冴木忍のライトノベル『天高く雲は流れ』シリーズ挿絵で気に入ってましたが)から設定と絵柄が好みで読んでいまして、後半に近づくにつれ今度は演出が神がかってきたと思ったら最終巻でアホみたいな量の生理食塩水をぼくの眼球から奪いとった作品です。昨日読んだらまだ泣けるんで正直ビックリしましたが。

話の内容は「ヘタレた悪魔と銃弾をばら撒く修道女の話」です。キモは「ヘタれた悪魔がヘタレではなくなる瞬間と要因」「気前よく銃弾をばら撒くシスターのその内心」かなと。相変わらず天邪鬼なぼくは誉めてるんだか貶してるんだか分かりにくいですが、察してください。さ察っさないと少し凹みます。乳首切ります。ウソです。いや、最初は「手首切ります」って言おうと思ったんですよ?でもほら、なんか深刻じゃないですかそれ。だから同じ首でも面白いものをと思って乳首って言ってみたんですけどなんか猟奇じみてきたんで失敗です。でそれを長い言い訳でなんとかゆるい苦笑いに持って行こうとしてるあたり致命的です。本題戻っていいですか ?本題しか読んでませんか? あ、むしろ本題すら読んでないですかそーですか。乳首切りま……(以下永久ループ)

さてそんな『クロノクルセイド』ですが、実はアニメにもなってます。

「何でだろう」とずっと思ってたのはこのアニメとマンガを見比べた際の感想でして。

正直な話アニメ版嫌いなんですよ。それが「何でだろう何でだろう」と思ってたんですけど、やっと昨日3年かかって納得できましてね。

「あ、ロゼット(主人公)が諦めちゃったからだ」

なんですよね。

例によってストーリーは書かないんですが、マンガ版アニメ版でかなりストーリーが違ってます。それでもエピソードを一つ挙げさせてもらうと、主人公、死に直面します。そのとき実はどっち版でも「死にたくないよ」ってセリフを発するんですが、意味合いが真逆なんですよね。誰だって死にたいはずはありませんから、どういう意味合いから来るにしろこの「死にたくないよ」を否定する権利は無いんですが、マンガの方が「それでも何とかしようとする前へ向けての抗い」だったのに対してアニメ版のは「諦めた末の弱音」にどうしても感じてしまったんですよね。

ぼくの中で「ロゼット」はひたっすらとにかく前へ向かって走り続ける主人公で、マンガ版では最終巻まで走りきった気がします。苦いもん全部飲み込んで、それでも見送り手に笑顔見せといて走ってくという。ただアニメ版では最後、足を止めちゃった気がするんですよね。

マンガが先にあったんで当然マンガ版のほうが愛着が深いってのはありますし、感覚は様々、ぼくの好みをキャラクターに押し付けてもいけないってのは承知の上なんですが、それでも尚ロゼットには諦めて欲しくなかったなぁってのが、メディアによるぼくの感想の落差につながってるかなぁって思います。

まぁその意味で言うと、マンガ版ロゼットはあくまで「主人公」として描かれてて、アニメ版ロゼットは「女」として描かれてる(べつに女性が諦める生き物だって言ってるわけじゃないですが)ってことで、お子ちゃまちゃんのぼくにしてみると、あくまで主人公らしく突っ走るロゼットの生き様のほうが性に合ったというだけの話なのかもしれませんが、ともかく腑に落ちた部分は書き残しときます。

と結論付けておいてしつこいんですが……それでも演出の仕方に関してはマンガ版のが神がかってると思う。

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2008年6月15日 (日)

夢中の霧中( from 香緒美 to 槍司)

「ヒーローになりたかった。早くて強くて余裕なヒーロー。悩みなんてなくて悪いやつらなんてイチゲキな最高のヒーロー。だからかなぁ、目の前で目の前でそんなこと完璧にやってのけちゃう人見たら夢中になっちゃったんだよね」

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「妹が結婚するらしいという」噂が流れたので、「あはは面白いこと言うね」真相を確かめるためトランク片手にフラリと帰省、「おう、おいちゃん、元気かい」と団子屋のノレンをくぐった所、「あ、モキのヤロウ帰ってきやがったぞ!」と下條正巳に言われて盛装をさせられたところでハッと目が覚めました。どうも、途中から「男はつらいよ~モキ次郎夢日記」なモキチです。

とまぁそういう訳で結婚式(披露宴)というのに参加してきました。実はこれがはじめての結婚式出席で、当日は居心地の悪さにオロオロとしながら不機嫌そうな面をさらしてきました。

妹の結婚ということで感慨でもあるかなぁと思ってたんですが、実際その非日常はネタの集まる宝庫であり、相変わらず状況を観察してました。冷たい兄貴だとなじればいいじゃない。

で、気がついたんですが、披露宴ってのは「超個人的な物語」の再現の場なんだなぁと。

人それぞれらしいんですけどまぁ噂に聞いてた披露宴の形として「今日までの新郎新婦」成長過程の映像だとか手紙だとか思い出のエピソードだとか友人の余興だとか両親への花束贈呈だとか、まぁそんなことがあるらしいと聞いてました。で、まさかのその通りなんですね。

会場を暗くしてスクリーンにアルバムからのスライドを投影。それに小田和正が「嬉しくて嬉しくて~♪」とかのっかってくればまぁそりゃ両親は感極まるんでしょう。舞台装置が整いすぎるくらい整ってますからね。泣かせるための仕掛けであり、ぼくに言わせれば「涙の押し込み強盗」な訳です。

でね、ここからが重要。
上の演出が効果を及ぼすか否かってのは、その人を知っているか知っていないか、そしてその度合いによって決まると思うんです。関係が深ければ深いほどたとえばスクリーンの写真から想起されるものは増えるでしょうし、新婦の読む手紙から思い出されるエピソードは多いでしょう。で、そんなもんが積み重なって結局感情が震えると思うんですね。逆にそれこそ隣近所の者でとりあえず来ましたって人にとっては文字通り他人事だと思うんです。「ほへー」だと思うんです。出した祝儀分はきっちりメシ喰おうな訳です。だから「超個人的な物語」。

さてここで「超個人的ではない物語」のお話。

とするとです。普遍的なとこまで考えてみてもさまざまな演出は突き詰めれば「主人公達のことを知っているか否か」でその効果の影響力が変わるということになるって言い切っちゃっていいんじゃないの。ということです。

つまり、ぼくが今回体験してきた「結婚披露宴」っていう「超個人的な物語」は、演出はそのままで、間に「登場人物たちの描写による感情移入」を差し挟めさえされば「不特定多数に向けた物語」に変わるんじゃないかってことなんですよね。「知っているかいないか」が重要なのなら「知ってもらうようにしよう」ってことです。

ぼくは、「物語」を登場人物たちのエピソードを描写することだととりあえずひとくくりにしていましたが、これはさらに「人物描写による感情移入」と「演出による消化」っていう形で、さらにシステマティックに過程を分解できそうですね。

とりあえず忘れないうちにまさに備忘録。判りにくかったらすみません。

収穫ありました! ありがとう妹!
あと「妹」って感じはぱっと見「株」とよく似てるので一瞬「ぼく株でもうけたっけ?」とか思いましたが考えてみると株を持ったことがありません。ええオチはありませんですすみません。

あと、結婚式の最中もこんなこと考えてました。マジですみません。

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2008年6月 9日 (月)

色んな異論( from 創菜&刻)

「あたしは行くよ。カベなんては高い方が――もえるじゃないか」
「高いとこが好きなだけじゃねーの?」
「なんか言った?」
「別に」

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『冷たい校舎の時は止まる』
辻村深月/講談社文庫



「あ、すごいな」

というのが感想です。

実は「学校に閉じ込められてしまう学生の話」が結構好きでして。
「学校」という場所にいるとき内心にいろいろな気持ちを隠しながら「日常」を送っていると思うんです。
でもそれが「非日常」に変わった瞬間、それは「学校」という場所はまんまで日常からスライドしただけなのに「非日常」に立ち向かうために、もしくは心にほ ころびが生じたため「本心」が覗き出します。一枚岩に見えていた友人関係が、実は積み上げたものにテーブルクロスをかけて成立していた危ういものだと明ら かになる。それがいいんです。

今回の「冷たい校舎の時は止まる」はある冬の日に高校生8人が学校に閉じ込められるところから話が始まります。玄関のドアが開かず、さぁどうやって逃げ出そうと足掻き始めるのですが…。
もちろん話のネタバレに触れる部分は書きませんが、閉じ込められたその原因に8人それぞれの「個人的な事情(つまり普段見えていないところ)」を絡めて キャラクターを掘り下げていくのがすばらしい。最初は名前と性格が一致していなかったキャラクター達がどんどん形をもって自分の中に定着していく感覚です ね。
8人という数はある程度均一に扱おうとすると相当に数として多いんです。それでもキチンと操りきってしまうのは大した文章力と構成力で、しかもそれがジワ ジワと外堀を埋め、核心に近づいていきます。そして実はこの8人を一見均等に扱いながら「おおう!?」という仕組を一つねじ込んでいるのが上手い。うま いっつかズルイわもう。

で、読んでいくと8人の中になんとなく自分に似たキャラクターを見出すはず。この感情移入のさせ方もまたうまい。

ぼくは自分に近いなぁと思ったのは「片瀬充」。
あこがれるのは「菅原」。

上下巻でかなり量はありますが、グイグイ引っ張られて後はいっきに行っちゃうので興味をもたれた方はぜひ。

近況報告としては他に、また何度目かの「澁澤龍彦ブーム」が来ました。やっぱ偉大です。ぼくの中では「偉大なる異端の先駆者」。

後は先月の角川文庫発売日にほしかった本がたくさん出ました。

・米澤穂信
「クドリャフカの順番」

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待望の文庫化ってことでひとつ。




・江戸川乱歩
「人間椅子」

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田島昭宇のカバーイラストがいい雰囲気出してますね。
「人間失格」の小畑健といいこの傾向はナイスかと。
「ベストセレクション第1弾」となっているのでぼくのフェイバリッド「二銭銅貨」がどこで収録されるか楽しみです。


・恒川光太郎
夜市
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実は日本ホラー小説大賞をとったときから気にはなっていました。
妖怪たちが様々なものを売っている「夜市」。それだけで心ひかれるひと要素だなぁ。

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