« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月27日 (土)

緊張と弛緩の繰り返しをリアルに経験し出すと、週間連載漫画家ってほんとすげぇなって思うんですけど。

はい、夢幻燈本舗のモキチです。

ちょいとばかり文章仕事をしてましてお久しぶりになりました。
今回は180枚。
基本的には足が止まりそうになっても無理矢理何とか書ききってしまうこと。ケツまでいけばまぁ直しを入れることでどうとでもなりますってのが最近の結論。とかく量をこなせばとりあえずは自信に繋がります。

が、人間てな――とまでは大上段にかぶらなくても、ぼくは次から次へと新しいことに挑戦してみたいもので。というよりもなにせチキンなので「前と違うものを、何か新しいものを」と常に考えていなければいけないので……ちっとも楽になりませんな。

「構成」を考えるときに、エピソードという「小構成」を作ってこれを入れ替えながら「シーン」という「中構成」に組み替え、最終的にストーリーという「大構成」を編み上げるというのがどうやらぼくが話を作るときにやっていることのようですが(と言うのも結構無意識にこれを組んでいるようなのです)、締め切り相手にこれをやっていると、「あ、今のところはもっと掘れた」「こっちにすりゃよかった」「うああ、このシーンで揺さぶるならもっと感情の高低差つくっとかなきゃ足りねぇ!」と、終わってから反省すること仕切りです。
一流ぶるつもりは一切ありませんが、結局のところスポーツ選手がフォームなんかを微調整するのや、まぁロケット打ち上げようとする人がトライアンドエラーを繰り返すのと同じような話で、人間のやることなんてそう変わるものでもないのかね、と。

---------------------------------------------------------------------------

ゼロ年代SF傑作選/SFマガジン編集部編

2010年の到来により、いわゆる「ゼロ年代(「'00」~「'09」と表記できる年代)」は終わりを告げました。そんなゼロ年代に活躍を見せたSF作家たちの短編集。
まぁみんなは秋山瑞人を楽しみに買えばいいじゃない。ぼくは何の迷いもなく新城カズマのために。『アンジー・クレーマーにさよならを』。『サマー/タイム/トラベラー』をご存知の方にはお馴染みの、あのお嬢さんの短編です。

機動警察パトレイバー(文庫版全11巻)/ゆうきまさみ

ロボット物は基本ほとんど興味のないぼくですが、自己分析をかけてみたところ、たぶん「ガシャーンガシャーンドカーンガシャコーン」みたいなアクションにさほど熱さを覚えなかったり、「宇宙空間」の荒漠さが嫌ということのようです。なので、「社会」と「相関図」を語るための「道具」としてロボットを使用した『パトレイバー』に純粋な敬意があります。実は今回はじめて、まともに読み通しました。すでに17年前のマンガなので、まぁ当時予想した情報技術や工業技術にズレが生じているのは致し方ないといえ、「もし人型ロボットがほんとに完成したとしたら」のリアルな追求、社会にどういう影響を与えるかの描き方はやっぱここに極まれりという感じです。改めてじっくり読むと、構成や展開に神がかってる箇所が多いのにも気がつきました。『パトレイバー』と言えば、押井守だと思うのですが、押井守という人もやっぱり「社会」を強く描こうとする人だと思うんですけど、どうにも「ハードSF」っぽく、正直『攻殻機動隊』もどうにもゴリゴリしていてぼくはちょっと苦手でして。ゆうきまさみの軽妙な感じの方がぼくには合っている気がしますね。あ、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』は好きですが。

---------------------------------------------------------------------------

そんなロボットが苦手のモキチさんですが、「ニルヴァーシュ TYPE ZERO」と「ニルヴァーシュ TYPE THE END」は好きです(←それは単に『交響詩篇エウレカセブン』が好きなだけだと思います)。

先日、You Tubeウロウロしてたら偶然見つけて、ことのほか良かった動画を。

ぼくもともと、歌詞のある曲を聴いているときに「お、この曲だったらこういうムービーが作れそうだね」と思うことがよくあります。イメージとしてはアニメのオープニングを考える感じ(以前友人に話をしたら、「90秒越えた分はどうすんの?」と言われました)。なので、MADという元々動画と音楽の合わせ技みたいのたぶん好きなんでしょうね。

やだ、また泣きそう。

元の曲はなんか別のアニメの曲らしいですが、しっくり来てるかなと。
レントンはバカだから好きですが、ドミニクは自意識過剰なバカなので好きです。

ちなみにレントン&エウレカ編もあります。
お話中のダウナーとアッパーの高低差が広いということでドミニク&アネモネに軍配を上げましたが、こっちも全然良かったです。ああこの二組に幸あれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月18日 (木)

減映の幻影( from 創菜 to 刻)

「私とキミは、永遠にすれ違う」
「そうさ。だから、まったく他人ならよかったんだ。重なりすぎる」
「面影を求めてるなら、キミのせいだよ」

---------------------------------------------------------------------------

異業種の人とコミュニケーションをとらせてもらう機会というのは、これはもう完全にインプットな訳なのですが、じぶんと同じような土俵にいる人と話をする機会というのは、実はインプットとアウトプットが50%ずつくらいで成り立っているのではないかと思いました。

ぼくは基本しゃべりたがりなので、ある程度慣れてきた人と話をする場合、もう基本的に疲れて眠ってしまうまでほぼ延々と話をしている自信があります。で、相手の本音の部分はどうあれ、ぼく自身はその時間をすごく楽しませてもらっています。

お酒を全く飲まないので、極端な話をすると、自販機付きの公民館の一室でも用意してくれると、それで一晩全然いけるのになぁと思うのですが……まぁ現実にそんなところはないので、主にファミレスに出没しています。ただなぁ、個人的に周りに聞かれると恥ずかしい話もしているので、できりゃあ個室がいいんだよなぁ。

すごくえらくなったら、政治家が出入りするみたいな赤坂の料亭の個室に顔パスで入れるようになりたい。しゃべってることはアホみたいにくだらないことなのだけれど。

今回しゃべっていた時間をトータルすると、ファミレスで3時間、焼き肉屋で2時間、ぼくの家で3時間になると思う。基本「こいつを肴に一杯」の「肴」の部分があれば話は弾むわけで、言ってみれば今回はそれが相手からの持ち込み企画だった。なかなかくやしいので、次回はぼくの方からの持ち込み企画でやってやろうと思う。

しかしこのブログをごらんの皆様はうすうす気付いてらっしゃる通り、ぼくの話し方は「おもしろ」を優先させるとどんどん脇に逸れていって、ついには本道に復帰しないこともままあるような話し方です。ほんと、付き合っていただける皆さんはありがたいなあ、と度々、一人でいるときなどには強く考えたりもします。

とは言え。

感謝はすれこそ改善するつもりはないので、みんなこれからもぼくと付き合えばいいと思う。

---------------------------------------------------------------------------

女の子が制服姿で楽器を弾いている姿が、ぼく何か好きなんでしょうねぇ。ちょいと最近お気に入りの『アニメ 鋼の錬金術師』エンディングテーマ。

SCANDAL/『瞬間センチメンタル』

このPVだと、メンバーが全員で膝を高く上げるところが格好良くて好きです。

---------------------------------------------------------------------------

現在加藤元浩熱が再熱中。


一話完結ものでどこからでも読めるから、どの巻でもいい、ぜひ読んでみてください。本当に面白いから。

他にも色々話題はあるのですが、ちょい追い込まれ中につき段々に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月10日 (水)

冒頭の会話シリーズは忘れてるわけじゃないよ? いつも先に本文書き始めちゃって疲れちゃうだけなんだよ? いいの思いついたらちゃんと書くんだからっ!

積ん読はあいも変わらず減っていくことはなく。
積み上がる訳で。
コタツの上に積んでおいた本をカラーボックスに移す日々です。

せめてマンガだけでも消化してしまおうと長らくほったらかしてあった『ZERO』(やまざき貴子)をペラっと読み始めたら、「あら? あら?」とか言いながら11巻全部読んでしまいました。

西暦2000年8月、中国の実験用核爆弾が房総半島沖で爆発、日本は壊滅状態になってしまう。アメリカの手によって軍事基地「ZOO」が建設され、生き残った日本人が収容・管理されることになった――というのが物語の背景。その「ZOO」内では2000年の夢を見ることが出来るドラッグ「ZERO」が大流行。「ZERO」の精製と販売に関わっていた主人公はある日、起こった事件から「ZOO」を飛び出す羽目になり……というのが物語の入り口。

そこからグルグルと円を描きながら物語終盤に向かっていくわけですが……まぁややこしいったらない。「ZERO」というドラッグで主人公達の「前世」まで絡み始めてあっちいったりこっちいったり。謎を解きながら現世では放射能の砂漠を横断するサバイバルが進む上に次から次へと現れる登場人物という次第で、忙しい忙しい。毎度毎度よくもまぁこれだけいろんなものを管理するものだと思う。

『っポイ!』でファンになった漫画家ですが、『アカデメイアの冒険者』シリーズや『マリー・ブランシュに伝えて』を見る限り、地の部分はかなり『SF』が支えているのかもしれません。かなりの読書量や資料調査量を見ると頭が下がります。

若干のBL風味(といっても核汚染の影響で圧倒的に男が多いという舞台設定なのです)と、膨大なネーム量が大丈夫という人は、文庫版も発売しましたのでぜひ。

『ZERO』(文庫第1巻)/やまざき貴子

---------------------------------------------------------------------------

『ZERO』のついでに買ったきりになっていた谷川史子の作品を数冊読んでみた。

ぼくこの人のマンガやっぱり好きですねえ。

もともと、妹の買っていた『りぼん』に当時連載されていた『くじら日和』がなんだか他のマンガと若干毛色が違って面白かったのがきっかけだったのですが(そうしてみると『っポイ!』も『こいつら100%伝説』も『耳をすませば』も『有閑倶楽部』もその時の影響の賜物な訳で……おお、感謝せねばなりませんね)……ま、毒のある話もいいですが、このくらいのど直球な話も全然良いですね。

この人の得意なパターンに「一話目の主人公の友達が二話目の主人公になり、その関係者が三話目の主人公になって完結」という三話完結のオムニバス形式があります。代表作と呼ぶべき明確なシリーズを持たないマンガ家(なのでイマイチマイナーなんだと思いますが)ですので、雑誌掲載時の工夫の可能性もあるのですが、この形式というのは、ペアの人間関係を形を変えて描きたい場合、結構有効な手段かも、と思います。

この人のも文庫で手に入りやすくなってるのでぜひ。どれから読んでも基本一話で完結するので良いのですが――ではストレートに。

『きみのことすきなんだ―谷川史子傑作選』/谷川史子

---------------------------------------------------------------------------

ここからはひどく面倒な話をします。

ARG=「代替現実ゲーム(Alternate Reality Game)」というゲームの話。

興味のある方はリンク先を参照のこと。

一応このブログ内の情報だけでも完結できるよう書きますが、ARGの詳細に関しては触れませんし、ゲームとエンタテインメントに興味のある皆さんには意義深い無いようかと思いますので余裕のある方はぜひ(でどころは例によって新城カズマ。毎度すみませんね)。

このARGが果たして何かというと、「実在の現実世界を組み込んだ」もしくは「虚構と現実を織り交ぜた」ゲームのことを指すらしいです。

で、ここで重要な話題が出てるのですが、「そこにドラマ性があれば、ゲームとして成立する。そして今後果たして『物語』は必要か?」です。

極端な話をしてしまうと、『物語』は、自分以外の人間のドラマに感情移入をしてもらうための「仕組み」「システム」です。作り手達は「他人事」に興味をもってもらうため、そこに「物語」という一プロセスを挟み込んで感情を引きつけてるわけですね。言ってみれば婉曲的な手段で、もっと言えばまだるっこしい。

これがじゃあ「他人事」じゃなくて、「自分ごと」になったとしたら?
誰かの作ったキャラクターに無理矢理自己投影をする必要がなくなるとしたら?

ははあ。自分が登場人物の一人に、いや、動き次第で主人公になれるとすれば、これはたしかに「物語」を介する必要はなくなります。そうなればそこにはコミュニケーションのための「目的」が用意されれば良く、目的達成のための「仕掛け」があればドラマが動きます。

試みってやつは結果本流になるかどうか、まぁ一定の動きが去った後でないと分からないわけですが、ただ、絶対的な一人によって創作された作品を、他多数が受動するっていう時代はいい加減そろそろ終わるのかもしれないという気がします。同じステージから発信された情報を同じステージで共有し、気が向けばリアクションを返す。物語は解体されて、そんな方向へ行くのかもしれません。そうしたときに、じゃあ職業的物語制作者が出来ることはどんなことなのか。ひとつ考えられるのは、「架空事件設計者」兼「再生者(リプレイヤー)」ではないでしょうかね。商業として運営するのであれば参加する権利を買ってもらう形ですよね。遊んでもらえる「場」を用意することと、「ああ、あれって楽しかったよね」という言ってみれば思い出の記録と再生の役割。まぁこれって、TRPGのマスターとリプレイなんですけど……結局そういうことだと思いますけどね。

---------------------------------------------------------------------------

もう一点。

上の件に関係する話だったりするのですが……かつて『電撃hp』誌上で連載されていた『矛盾都市TOKYO』という作品があります。『終わりのクロニクル』シリーズなどでお馴染みの川上稔&さとやすの作品なのですが、電撃文庫では発売しておりません。ちょっと判型も大きく値段も高いのですが、こちらのサイトの通販で手に入ります。
電撃イラストノベルと銘打たれていまして、たしかにビジュアルもすごく重視して作られてますが、ぱっと見、すごく豪華な同人誌みたいに見えます。
ぼくは『電撃hp』掲載時にこの作品がすごく面白くて、遡って都市シリーズ読んで、結果、この『矛盾都市TOKYO』も手元にある訳なんですが。

これですね、言ってみれば短編集ならぬ「断片集」です。

「主人公の回想」という形で、ほぼほぼショートストーリーみたいな短い話の断片が次々に語られていくのですが、時間軸が繋がっていない上、話題の中心も回ごとに違うので実に何だかよくわからない。よくわからないのですが、なーんかおもしろいもの読んでる気になっちゃうんですよね。まぁ川上稔のやることですんでそこには緻密で膨大な設定と、構成が横たわってるわけなんですが。

この手法を使った場合ですね、先のARGの話と組み合わせて「断片集」は物語として成立しないでしょうかね。要するに、もし「物語」の生存域が存在するとすれば「演出」においてこそじゃないかと。実際に「リプレイ」として描かれる場合、そこにトータルのコーディネートと見せ方が介入してくればいいんじゃないかと。「一方その頃」を連続した断片として見せることで見返したときに面白がれる「リプレイ」が完成するんじゃないかなと。そんな風に思うんですよね。まぁ性質上この「断片集」はかなり対象の人数を狭めますし、「現実」や「現在」とセットで存在するので、ある日突然全く意味をなさないものに成り下がってしまうかもしれませんけど。

ここまでじっくり読んでくれた人はすみません。本当にややこしいことを言っていると思いますし、ちょっとまだまとまりきっていません。ただ、どうにも書き留めておかないとなぁというところでちょいと思ったので記録ということで。
同じようなことを考えている人がいれば、どこかでお話出来ればいいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 3日 (水)

「まさか自分の頭の中を文章化するとこんなに厄介だとは思いませんでしたよ」「それを気付いてなかったことが一番厄介だったりする訳ですよね

どんも。夢幻燈本舗のモキチです。

自己紹介とかしとかないとみんなあたしのこと忘れちゃうかもしれないしー。
アホみてぇにしばらくフェードアウトしたと思ったら突然ぼんぼこ更新してみたりってのは完全に神経の不安定さをむき出しにするだけなのでやめた方が良いと思います。

iPhoneアプリのインストールのしかた、利用のしかたがよくわかったので、最近電車の中ではiPhoneで青空文庫を読んでたりします。と言うのも、探したら岡本綺堂の作品データが大量に存在していることが分かりましてね。探偵小説の歴史を辿っていくと、どうやらこの人にぶち当たるみたいなんで、あと、お化け関連のものに触ってると出てくる名前なのでまぁ読んでみようかなと。とりあえず有名な『半七捕物帖』読んでみたらこれがまぁ面白いので何かあると読んでます。今まで、『銭形平次捕物控』の作者である野村胡堂となんだか書いてるジャンルも名前も間違えやすい人ってイメージしかなかったんですけどごめんなさい。

しかし、それで思ったのですが。
青空文庫は今まで当然存在を知ってはいた訳なんですけど、正直どうにも積極的に利用する気は起きませんでした。ビューアーももちろん存在していて、パソコンなら見れたんですけどね。まぁこれには「本読むとき基本寝っ転がってます」もしくは「移動中です」っていうぼくのスタンスが影響しているとも思うんですけど。その意味で、「器」の存在はおっきいなぁと思いました。活字の情報は、紙に印刷されることで本として受動出来る存在になるわけで、今までぼくにとっては青空文庫のテキストを受動するのに適したメディアに出会えていなかったということです。そこへ、iPhoneがある程度ストレスの少ない受動の方法を提供してくれたわけで。まぁ目が疲れたりするんでまだ長時間読むって訳にはいかないんですけど。

だから、「活字メディア」への依存を考えた時に、文字情報、文章情報、媒体っていうまぁそーゆー構築要素に分解した上、さぁじゃあ果たしてさあ「本」の形で物語を表現する土壌は商業として成立するだけの採算分岐をこの先維持できるのか? 職業的物語作成者は今後生き残れるのか? コミュニケーションツールとして以外の物語にさあ未来はあるのか。生き残るためには新しいもんとしてどう再構築すればいいのか? ってのを考えなくちゃならんのかな、と。

まぁそんなことを頭でこねくり回してました。
いや、めんどうくせぇなぁと思いますよ。こんなことで悩むのはですね、結局ぼくが小賢しいからに他なりませんでして。天才ならね、ここをチャンスとなにか新しいものをさっさと世に送り出すはずなんですね。で、賢い人はそこに答えを見つけてる。受動者はそもそも悩む必要はありませんですし、結局のところ小賢しい人だけが頭を抱える訳なんですよねぇ。いや、難儀ですね、まったく。

---------------------------------------------------------------------------

アニメ『CENCOROLL(センコロール)』を観ました。
実は今もって来歴のよくわからないアニメなのですが……少なくともぼくは面白かった……というか面白くなりそうだなぁと思いました。と言うのも、この先に続きそうな「ヒキ」を作っておいてぶった切れちゃっているからなのです。

だからたぶん評価が別れるんだと思いますが……音楽を作っているのもどうやら初音ミクでお馴染みのボーカロイド音楽の分野では有名な人らしく、どっちかっつと新しい表現に挑戦しようとしている点で評価しようとする人には好印象で、そうじゃない人にはなんだか分からないものとして映るのかもしれません。

ぼくは……雰囲気とか、妙に不細工な怪物の存在とか、あまり観たことのない構図とか、そういう……なんか単純に普遍的なもんが「好き」だなぁと思いました。

CENCOROLLのデジタルっぽいBGMを聞いてたら、昔観た映像を一個思い出しました。

ぼくもう5、6年くらい前からでしょうか、capsuleというユニットが好きでしてね。より正確に言うとcapsuleの『東京喫茶』という曲が好きでしてね。ラジオで拾った歌詞とメロディを忘れないようにがんばっといて何とかたどり着いた記憶のある曲なのですが。このcapsuleという二人組の一人、中田ヤスタカという人が、まぁ今や大人気のPerfumeのプロデューサーな訳ですが。
で、この中田ヤスタカが原案と音楽を担当したアニメ作品がありまして。

それがこの『空飛ぶ都市計画』という作品です。なんなんでしょうね、このハイセンス。もうだいぶ前の作品のはずなのですが、タイトルがぼく好みという点差っ引いても色あせてないセンスだと思います。それこそ映像と音楽じゃなきゃたどりつけなかった境地だなぁと思うわけで。こういうの観てると嬉しくなります。ちなみに、この『空飛ぶ都市計画』、「SF三部作」と称されてまして、この作品の前に『ポータブル空港』『space station No.9』という作品があります。もし気に入った方は探してみてください。こちらも面白いです。

---------------------------------------------------------------------------

iTunesでまたぽちぽちとプレイリストを作ってます。
最近は主に、入ってる曲を使ってライブのセットリストを作るのが面白いですね。「ここで? ここでリトバス(念のため言っておくとどっかのエロゲーじゃねぇよ? あれのおかげでgoogleとかの検索の際にこちとらひどい弊害。邪魔です)? そして、ストカメ? ファニバニ? ハイブリ? で、ランハイっ!?(the pillowsの曲は変なふうに略せる曲が多いですね)」つって、盛り上がれます。ライブのセットリストには演奏する側の思惑が入っているのでそれに従って流れが出来るわけで、そうやって組まれて聞かされるとまたひと味違って楽しめるんですよ。「そんなマイナーな曲やってくれるの!?」みたいねのもね。

ぼくが音楽を、ある程度好んで「アルバム」という単位で聞くのは、そこに何となくその時点で作り手が考えていたこととかやりたいこととかが透けて見えてくるからで、「この順番で聞いてもらったら楽しんでくれるんじゃないかな、なにか感じてくれるんじゃないかな」という意思の介在があるからです。

だから、iTunesストア等の浸透で、この先の音楽表現において、アルバムの形式が消えてしまうかもしれないことに寂しさを感じている一人だったりするわけですが、まぁこの機能のおかげで若干また違った形でアプローチは出来そうですね。

ただ、一曲だけピンポイントで買うというスタイルが完全に浸透するとちょっと怖い、寂しいなと思っていることは相変わらずあります。いわゆるシングルをサンプルにアルバムを買ってもらうってスタイルに諸々の問題があるのは承知なのですが、アルバムは例えば10曲入っていたら、一曲、二曲は「冒険」が可能で、作り手はそこで実験的で新しい方向性を入れていくことが可能だと思うんですよね。それが先々、その作り手がまた素敵なものを生み出すための布石になることも多いと思うんですね。そうなったときにぜーんぶ一曲ずつの発表のしかたは……「買ってもらう」目的が内在している以上、どうしたって「売れない」ものは作れないですし「気に入った曲が入っているから聴いたアルバムだけど……他にも良い曲があったな。よし、じゃあ今度は他のアルバムも」って具合にリンクを広げる機会が永遠に損失されると思います。で、まぁそうなりゃ最終的には業界自体が尻すぼみに小さくなって結果、エンドユーザーを巻き込んで共倒れます。

で、どうしてそういうことがおこるかっつと、まぁ業界から「余裕」「遊び」「冒険心」みたいもんが消えたときに起こるんじゃないかなぁと。ことエンターテインメントや芸術、科学開発分野においては、即物的なものの売り買いじゃなくて、「機会」や「可能性」とかも含めて「損して得取れ」で考えていかないと、先に待っているのは荒涼とした砂漠じゃねぇのかなぁ、と。なーんかそんなふうに思いますけどね。ちょっと古いですけど、金切り声上げて、宇宙開発にストップかけてる場合じゃねえと思うよ、ぼくは。さっさと国が潰れちゃいますよ?

先日、とある小説家と話をさせてもらってるときに、実はライトノベル業界――というか萌えビジネスに全く似たような話が起こっているということを聞かせてもらったのですが……そりゃまた長くなるんで機会があったらまた今度。

なんかプレイリストの話からずれちゃった上に、いつにもまして理屈っぽいですね、ぼく。なんかすいやせん。

---------------------------------------------------------------------------

余談の上に余談ですが。今テレビ見てたら、「オーケストリオン」というオルゴールとジュークボックスのあいの子みたいな音楽演奏機が紹介されてました。その演奏機用の楽譜を「ミュージックロール」というらしいのです。こいつは紙に穴が開けられていて、その穴を空気が通るか否かで音を鳴らすかどうか判定するらしいのですが……このミュージックロールが、ビートマニア等の音ゲーの画面にそっくり。寡聞にして「ビートマニア」がどう生まれたのかは知らないんですが……案外こんなな所から生まれたりしたんでしょうかね。ゲームって、突き詰めると「別にしなくても良いちょうど良い苦労」をする行為なんじゃないかと思います。そうしてみると、「自動化」されているものをあえて「手動でやってみる」なんてことも、見せ方や切り口次第でまぁもしかしたらゲームに化けるのかも知れませんねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »